足で踏むからこそ(オルガンを)

WIRED主催のコンサートがあり、先週金曜の夜遅く、西麻布に足を運んできた。


「音楽の新しいイノベーション」をみせるべくシリーズ化されているこのコンサート。第2回は、足踏みオルガンの鬼才であるシグビョルン・アーペラン(ノルウェー)のライブ。足踏みオルガンとは、おそらく30代以上のひとなら分かる、学校の教室にあった、アレだ。
先日の記事でヤマハはオルガンの修理と製造からスタートしたと書いたが、今回はまさにそのヤマハのものが用意された4台中2台あり、そのすべてが、アーペラン曰く「とてもよくチューンされた状態」であった(群馬の数少ない専門家が準備したとのこと)。
はたして、ある意味で天然記念物的なイメージの楽器である足踏みオルガンを使って、どのような新たなサウンドがもたらされるのか、興味津々であった。
基本的にアーペランの即興による演奏で、その合間に彼のトークが挟まる、というライブのスタイル。30-40人規模のとても親密なものである。
UPされている(その時のライブのものではないが)音源があったので、まずはイメージを掴むためにぜひ聴いてもらいたい。
最初に実感したのが、足踏みオルガンが楽器としてきちんと立場を確保している、ということだ。(もちろんアーペランの工夫によって魅力が最大に引き出されているということも大きいが)ただの古びた橋渡し的楽器、教育用の楽器ということはなく、サウンドやデバイスとしての機能など、これをするには足踏みオルガンでなくてはならない、という理由がたくさんあることがわかる。
まず、弦楽器のようにタイムリーな調律ができる楽器ではなく、また物理的な古さもあって、音のピッチは微妙にずれている。それが、和音として重なった時に、特徴的な”うねり”を発生させる。
それから、ピアノとは大きく違うのが、音量(ダイナミクス)の変化のしかただ。ピアノは、基本的に打鍵した瞬間が最も大きい強さになる。
ところが、足踏みオルガンは鍵盤を押したあとも足踏みの強さで音量が自在に変えられるため、例えばpppで始まって、音を途切れさせずにfffまで持っていくことも可能なのだ。
上の音源を聴いてもらうとわかるように、同じ和音が続きながらも微妙に音量が揺れてこれもまた”うねり”となっていることがわかる。
ほかにも特徴はあって、(鍵盤ハーモニカで想像すると分かりやすいのだが、)鍵盤の間に紙を挟んでキーが降りた状態を(指をふれずに)キープしながら、ずっと通奏低音的に鳴らし続ける、という技法も彼はつかっていた。
(紙は、ポケットに入ってた東京メトロの路線図で!)
新しいものを嗅ぎ分けられる感性、それを支える技術があれば、どんな手法でも新しいことに挑戦できるんだと、新鮮な驚きをもらえたライブだった。
いいなあ、新しいもの、刺激があるもの、自分の価値観を拡張させてもらえるもの。
最近、現代音楽、新しい音楽に、どっぷりハマりそうな予感がある。

t*note|米村智裕のブログ

芸術・文化の創造と流通に革新を起こすべく、 株式会社クロスアートの経営に取り組む、米村智裕のブログです。

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