五百羅漢図、増上寺、東京タワー、着物美人、アイドル、おっぱい、六本木ヒルズ、村上隆。
まずは、増上寺の宝物展示室へ。道すがら、大門の上に東京タワーが生えていたり、スタバのテラスに着物美人が腰掛けていたり、お寺のすぐ近くで名も無きアイドルが写真撮影をしていたりと、インバウンド向けの仕込みかというほど御クールなジャパンが溢れていた。(ちなみに、アイドルは5色いた。)
狩野一信の五百羅漢図は、(幕末ということもあって)西洋の技法を取り入れる努力の跡があったり(解説に「なんとも不自然な」と書かれていて笑ったけれども)、ユニークな描写を積極的に盛り込んでいたりと、独自の工夫のために10年粘ったことが明らかに分かり、その厚みゆえの凄味があった。好きと執念の塊といった感じ。
そして、六本木ヒルズへ。ヒルズは、安定していつものヒルズだ。
村上隆の作品をここまでいっぺんに見るのは初めて。彼の作品は批評やプレゼンテーションとセットで鑑賞すると楽しめることを実感した。そういう意味で、展示全体を通して一番面白かったのは、芸術新潮にて彼と批評家とで展開された長期連載の抜粋だった。彼の作品そのものに「自力」があるのかはよく分からないのだが、その自力のなさ、厚みのなさ(プレゼンテーションと批評あっての作品)こそ彼の作品、彼のやりたいことなのかもしれない。
それは、メインの五百羅漢図(世界最大級の絵画作品らしい)にも表れていて、(狩野一信が10年かけてこつこつ描いたのとは対照的に、)百人単位の若手を集め、それを「工房システム」に組み込んで短期間で製造されている。
1つ、腑に落ちなかったのは、その五百羅漢図が震災後の日本のための作品として作られた、という説明だ。学生たちによって、「村上様(と現場で呼ばれていたらしい)」の指示のもと、お祭りのように(まさに藝大の学園祭の空気を強烈に感じた)巨大作品が作られたプロセスはきっと活力に満ちていたのだろうが、作品そのものと震災とは(直接にも間接にも)繋がりを感じることはなかった。震災の重さと、作品の密度のなさ(巨大なだけに)が、異次元過ぎた。まさか、祈りをこめて羅漢を五百並べました、という単純なロジックなわけでもないだろうし。
作品と同時に、プロジェクト中に使われた資料や指示書などの足跡も積極的に展示してあって、ますます、作品よりプロセスのほうが見せたかったことなんじゃないか、と深読みしたくなった。彼が、何をやりたかったのか、作品じゃなくて言葉で聞いてみたくなって、ちょっとだけフラストレーション。
それにしても、撮影&シェアOKの展示だったので、あちこちで(何に使うのかわからないけど)写真を皆が撮りまくっていて、それを村上作品と併せて鑑賞するとけっこうな興味深さでもあった。
ちなみに、増上寺の敷地内では区が主催するワールドフェスみたいなことが行われており、仮設ステージで露出度高めのサンバ隊が踊り狂っていて、その、寺とおっぱいの組み合わせがこの日のハイライトだったような気がしている。
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