自分を炊事する

コンサート制作のためのミーティングやインタビュー、そして新しく音楽家の方にお会いする機会が今週は続いた。たまたまなのだが、僕とほぼ同じ年齢の皆さんだった。
個人的な話だが、近頃、ようやく自分のいろいろなことを自分で制御できるようになってきたと感じていて、また、それが心地よいとも感じている。そしてその感覚は、今週お話した皆さんと共通するものもあるのじゃないかと思ったのだ。
ギターの古川さんは、自分を出すことに抵抗があったのが、最近はそれが自然にできるようになってきたといい、オーボエの若木さんは、お客さんを喜ばせないとと肩肘を張っていたのが、まわりとの調和を意識するようになってきている、と話していた。
少し飛躍するかもしれないが、古川さんが自炊を最近はじめた、と話していたことがそれを象徴している気がしている。自炊する、という行為が持っている、何と言えばいいのだろう、自分が口にするものにできるだけ関与する、自分の人生を(コストやリスクを負ってでも)自分でハンドリングして、責任を持つ、みたいな感覚が、僕のいまの感覚に近いと思う。
僕は30になって、気張った妙な欲が少しずつなくなって(もう20の時みたいに女の子を追いかけ回すこともないし)、でも自分のやりたいこと、やれること(=自分のできないことも自覚しはじめている)を心地よく日々ビルトインしていくことができるようになってきた。同時に、それは心地よく、またそうありたいという目標にもなっている。
よく考えたら、これは良い音楽だったり、よい経営とも関係しているのかもしれない。
(特にクラシック)音楽や経営は、とにかくエッジを立てれば勝ち、というものでもなく、俯瞰したときのバランスと、瞬間瞬間の熱量が同時に含まれていてこそ。
世界と触れる表面はうまく融和しつつ、その内側では自分のやりたいことをその世界に向けて出していく。(ふだん、あまり世代論とか、年齢とか気にしなんだけれども、)そんな感覚とお付き合いするのがこれからの10年なのかも、と思うのだった。
それは、音楽家だったり、起業家だったり、という、自分で自分の生活を制御して、そこから生まれるものが飯の種になるような人間には、必須だったりもするのだ。


t*note|米村智裕のブログ

芸術・文化の創造と流通に革新を起こすべく、 株式会社クロスアートの経営に取り組む、米村智裕のブログです。

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